真野郷土史

堅田に比べて少ない資料

信長の叡山焼き討ちの影響か?

 「真野郷土史」を書こうと思ったきっかけは大きく二つある。 一つは、父の残した「佐久間家の記録」を編集したことである。 このおかげで自分のルーツが分かり、父・母の死後続いた親戚関係の法事に出席して失礼のない対応ができた。 この時、記録の大切さを実感した。  もう一つは、大津市北図書館で、 真野小学校の後輩が横山幸一郎先生の指導の下、 「真野のむらのきろく」という卒業文集を残しているのを見つけたことである。 読んでみると、真野について知らなかったことがあまりにも多いことに気づいた。 知らなかった事を調べようと他の資料に当たってみたが、 あまりにも「真野」に関する資料が少ないことがわかった。 もちろん、いろんな資料に「真野」という地名は出てくる。 しかし、「真野」についてまとめた資料は、 「真野のむらのきろく」と結城実誠校長の書かれた「眞野風土記」の二冊しかなかった。 しかも、「眞野風土記」はわずか11ページの小冊子だった。 高柳弘雲さんの書かれた「堅田郷土史」の中にも「真野」についての記載があったが、 この冊子はガリ版刷りの手作り文集で、文字の不鮮明な箇所が多く痛みもかなりひどかった。  なければ自分で作ろうと思って「真野郷土史」を作りはじめた。 原稿を書くことと平行して、「真野郷土史」ホームページを立ち上げ資料の紹介もした。 時々、ホームページを見たと言ってくれる人もいて励みになった。 資料として使ったという連絡を聞くともっと嬉しくなった。  記録はするだけでは何の意味もない。 誰かが利用して初めてその価値がでてくる。 ただ、個人情報保護法・著作権法といった法律上の問題点もあり、 公開できない内容もある。 ホームページでは「真野のむらのきろく」・「眞野風土記」・「堅田郷土史」の3冊については全文を掲載した。 どれも文集で作成後50年を経過しているので問題はないと思われる。  真野という地名は本来、浜・北・沢・中の四か村の総称だが、 真野小学校の校区である佐川・大野・家田・谷口・普門を合わせた九か村の総称でもある。 したがって、この「真野郷土史」も九か村を対象にしているところもあるが資料の収集が難しいこともあり、 中心は浜・北・沢・中の四か村である。  近隣の堅田・小野・和邇に比べて真野の資料が少ない理由の一つに、織田信長の叡山焼き討ちがあるようだ。 真野には比叡山三千坊といわれる寺があり、それらがことごとく焼き尽くされた。 その際に寺だけでなく古文書などの資料も焼失した可能性がある。 歴史は細部にわたってつながりがあることを実感した。  「真野郷土史」のまとめ方はホームページを作る際に使った「歴史資料から見た真野」 「統計資料から見た真野」「現地調査から見た真野」「地域活動から見た真野」の4部構成とした。 各部にまたがる内容もあり、編集に時間がかかり当初の予定と違ったものになる可能性もあるが、 完結を夢見てまえがきとする。平成31年(2019)4月  「真野」という地名はkotobankによると、新潟、福島、兵庫にも見られ、 古くからその景観が歌に詠まれてきました。 琵琶湖の西岸に位置し、京都から大原越えでこの地にたどり着いた貴族は、 ここから舟で竹生島を経て北陸へ、 南の鈴鹿峠を越えて東国へ向かった交通の要所でもありました。
 当地では、真野という呼び名は二通りの意味をもちます。 一つは真野小学校校区全体をさす場合。 もう一つは、北・浜・沢・中の四か村を合わせた場所をさす場合です。 したがって、このサイトではこの両方の立場でまとめたものが混在していますのでご注意ください。 ただ、私は四か村の一つ、浜村に住んでいますので、 この地域以外の資料はなかなか手に入りません。
 また、真野地区内の寺のほとんどは、以前は天台宗でした。 そのため、信長の叡山き討ちの際に、 寺で保管されていた多くの書物が焼失したといわれています。 これも資料が少ない理由の一つです。
 私が郷土史に興味を持ち、真野について調べ始めた時に手に入ったのは 「眞野風土記」と「真野のむらのきろく」、「堅田郷土史」の三つでした。 その後、浜自治会に保管されていた資料、昌法寺に保管されていた資料を見つけ、 これらを後世に伝えなければいけないと整理を始めました。
 幸い、今は紙資料はスキャナーで、他の資料は写真でデジタルデータとして保管することができ、 原物はそれぞれ元の場所で保管し、電子データを手元に置いてこのように公表することができるようになりました。

謝辞

 ページ作成に当たり、利用させていただいた素材等はここに一覧にして明示させていただきます。
ありがとうございました。
(過去に使わせていただいたものも含む。敬称略・順不動)
【イラスト】
イラストカット.com
イラストポップ
イラストAC
シルエットAC
【音楽】
SoundEngine
ポケットサウンド
魔王魂
OtoLogic
【アニメ】
Hippani Animator…アニメーション作成ソフト

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2024/05/06
大津代官について追加
2024/05/01
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小字名

 父が亡くなる平成9年(1997)年、 大阪市立大学のインターネット講座を受講していて「地名」に関する調査をする機会があった。 滋賀県立図書館へ行き、角川の地名大辞典で小字名の一覧を写して帰り、 父から浜の人はもともとオガイトから移り住んだということを聞いた。
 そのとき、このオガイトという名前が気になってしかたがなかった。 他の山田とか東浦という小字名は納得がいくが、 カタカナ表記でしかもオガイトとは全く見当がつかない。
 今回の調査で、一応の結論に達したがすでに18年経過した。
 小字名に関して、もう一つ紹介しておかなければいけない資料がある。 「近江国滋賀郡誌」である。 これは明治16年、滋賀県がまとめたもので見ているのはこの復刻版である。 この付録として絵図があり、各地域ごとに道・川、そして小字名の一部が書かれている。
冒頭で監修をされた教授が、 この地図は役に立たないと書いておられるが、我々素人にとってこの地図があるから興味がもてるので、 江戸時代に書かれた他の絵図に比べても、それほど劣るものとは思えない。 絵図はこの程度のものなのではないのかと思えるが。
 この関連として、小字名地図と東浦、山田の地籍図を作ってみた。(2015年 記)